除目日誌

たのしい毎日

カニ・そのかっこよさについて

さやがわです.

今日は,カニの話をします.

 

カニの話をするために,まず生成AIの話から始めます.

 

私は,(特にコンピュータ関係で,民間人が容易にアクセスできる)新技術や,新サービスといったものに強い関心があります.最近のトピックでいえば,生成AIがその枠に当てはまることは言うまでもないかと思われます.

 

生成AIの中でも,とりわけ画像生成AIには強い関心があります.なぜなら,おもちゃとして遊ぶ際にもっとも楽しい成果物が出来上がるのが,画像生成系のAIだからです.

 

さて,最初に画像生成AIにアクセスし,プロンプトを打ち込むとき,あなたはどのような情景を表現したいと思うでしょうか.もちろん,実際の利用方はさまざまですから,オン・デマンドで必要な画像を生成するのが,もっとも良い使い方です.しかし,最初はどうでしょう.どのような能力があるのか,気になりませんか.でも,「テスト」とか打っても,仕方ない(生成物を評価できない)ですよね.

 

私は,カニだと思います.

 

なぜなら,カニはかっこいいからです.

 

どのような点でかっこいいかについては後で述べます.

 

カニのなかでも,巨大化し,海から都市に上陸して,ビル街を破壊して回るカニが,もっともかっこいいのではないかと考えています.

 

なぜなら,巨大化し,海から都市に上陸して,ビル街を破壊して回るカニは,かっこいいからです.

 

画像生成AIは,この,巨大化し,海から都市に上陸して,ビル街を破壊して回るカニという存在を,容易にビジュアライズしてくれる点で,カニ界に激震をもたらしました.

 

私が最初にカニ画像を生成させたのは,OpenAI社が開発している,DELL E・2というモデルです.

 

かっこいい

民間人が利用できる画像生成AIとしてはごく初期(2022年)のものなので,まだまだ荒削りかなといった印象は受けますが,それでも,カニのかっこよさ,怖さは十二分に引き出せているのではないかなと思います.

 

さて,DELL E以外のモデルでも試してみましょう.

 

次の4枚の写真は,Midjourneyというモデルが描いたカニです.

 

かっこいい x 4

ちょっといかつすぎなきらいもあるように思えますが,かっこいいですね(そのようなプロンプト書いているため).

 

さて,カニは,街を破壊しなくともかっこいいものです.

 

cool

これは,カニ議会です.かっこいいですね.このような議会であれば,政治への関心も高まるのではないかと思います.

 

このように,画像生成AIの力によって,かっこいいカニの画像を従来よりも容易に,かつスピーディーに得られるようになりました.

 

この調子で生成AIが普及すれば,街(に貼られているポスターなど)はカニでいっぱいになってしまうのではないかと思われます.しかし,今のところそうなる気配はありません.どうしてでしょうか.

 

それは,多くの人がまだ,カニのかっこよさに気づいていないからです.

 

実際に,私の友人らにとって,カニはあまり魅力的な生き物ではないようです.このような見識の人がまだ大多数を占めていることは,日本の巨大カニ界隈にとっても重大な損失です.

 

ですので,ようやく本題とはなりますが,以下では,カニ,とくに巨大化し,都市を破壊して回るもののかっこよさについて説明したいと思います.

 

とはいっても,ここまで記事を読み,クールなカニ画像の数々をご覧になった読者の方にとっては,もはや説明不要かもしれません.しかし,念の為,まさかいないとは思いますが,まだカニのかっこよさがわからないという方がいらっしゃる可能性も捨てきれませんので,一応説明します.

 

  1. デカくて,大きい
    巨大化したカニは,大きいです.巨大化の小さいものでは高さが5mほど,大きいものではおそらく100m程度あるのではないかと考えています.大きい分にはどれだけ大きくても良いのですが,あまり大きいとカニかどうかわからなくなってしまいます.

  2. 甲羅があり,殻である
    甲羅がある生物はカニのほかにもいろいろいますが,カニの甲羅の独特な無骨さと,頑丈そうさ(「頑丈そう」というイメージの程度),怪しさに勝てる甲羅はありません.

  3. 横長で,横に長い
    エビを想像してみましょう.エビは,縦に長いですし,丸まっており,あまり迫力がありません.そもそも,人間の都市を襲う際は,横長の方が適しているのではないかと思います.なぜなら,人間は,基本的には地球の表面をなぞるように動き,上下方向の移動はあまりありません.同様に人間の都市も,基本的には地球の表面をなぞるように,2次元的に広がっています.したがって,横に長いカニの方が,エビよりも効率よく都市を破壊でき,恐ろしさ倍増ということになります.
  4. 赤くて,レッド色
    赤はかっこいいと決まっています.無論,赤でないカニもいて,彼らも十分かっこいいのですが,やはりかっこよさにおいて,赤いことは重大なアドバンテージになり得ると思われます.
  5. 武器をもっており,武装している
    カニはハサミを持っています.強いです.人間は勝てません.屈服しましょう.
  6. 左右方向に移動し,横に動く
    意外すぎる.読めません.こわすぎ

  7. 多足で,足がいっぱいある
    人間には2本しかないのに,やつらにはたくさんあります.怖いです.

 

以上が代表的なものですが,カニのかっこよさは枚挙にいとまがありません.そもそも,かっこいいというのは個人の感想でしかないので,論理で説得するのは無理です.しかし,カニのどのような点が魅力的なのかについては,共有できるところとなったでしょう.

 

今後,カニの,とくに巨大カニのかっこよさに気づくひとが増えれば,街はよりいっそうかっこよくなるのではないかと思います.

 

とくに,生成AIの普及は,巨大カニのビジュアライズをよりいっそうアクセシブルにし,カニ文化の振興にあたってきわめて重要な役割を果たすでしょう.このような,草の根のカニ振興も重要ですが,しかし一方で,生成AIはまだまだクオリティの面で課題を抱えているのも事実です.そのため,職業画家や,CG作家などが,品質の高いカニを世に送り出すこともまた,重要なのではないかと思われます.

 

今はまさに,カニ前夜です.

 

生成AIの普及は,絵画などの技能を持たないものでも,「下から」文化振興できる可能性を示しています.カニがまさにそうです.

 

21世紀は,まさしくカニの世紀となるでしょう.

 

カニをビジュアライズするのは,AIがやってくれます.しかし,彼らがカニをかっこいいと思うだけの「知能」を持つかどうかは,まだわかりません.ただひとつ言えるのは,豊かな想像力を武器にすれば,われわれは彼らと協力しながら,豊かなカニ社会を描くことができるということです.

 

カニとともに生きる未来.それは,あなたの想像力にかかっています.

 

Be Creative with crabs......

セマンティック・プレイス

semantic

──意味の、意味論の

(weblio英和辞典)

 

さやがわです.

今日は,セマンティック・プレイスの紹介をします.

 

 

セマンティック・プレイスの概要

セマンティック・プレイスは,日本語では,「せまいところ」と呼ばれています.あるいは,略として,「セマンプ」などと,呼ばれていたりします.

 

セマンティックということばに,せまい,という意味はありませんが,音が似ているため,セマンティックと呼ばれています.しかし,実際にセマンティックであるかどうかについては,議論の余地があるようです.

 

セマンティック・プレイスの用途

セマンティック・プレイスは,筆者が大学でお昼ご飯を食べる際によく使われる場所です.

 

セマンティック・プレイスは,屋外に位置していますが,にもかかわらず,お昼ご飯を食べるのに適しています.どのような点で適しているのかについては後述しますが,それにしても,お昼ご飯を食べるために設計されたとしか思えない場所,それが,セマンティック・プレイスということになります.

 

セマンティック・プレイスがランチスポットとして優れている点

セマンティック・プレイスは,大学の中にあります.具体的には,文学部棟という建物と,文系共同館という建物と,教育学部棟という建物に囲まれた,駐輪場などがある空間(通路)に位置しています.

 

セマンティック・プレイス

単に,セマンティック・プレイスと言った場合,手すりと手すりに挟まれた,側溝のような隙間を意味します.

ここに腰掛けて昼ご飯を食べるわけですが,セマンティック・プレイスは,この粗末な外観にもかかわらず,ランチスポットとしてかなり優秀といえる機能をいくつか備えています.

 

①収容可能人数がちょうど一人である

セマンティック・プレイスに座る人

セマンティック・プレイスに腰掛けると,画像のようになります.

なんて心地良い幅なのでしょう!

ちょうど人間1人分,広すぎず狭すぎずの空間が提供されています.

 

そうそう,言うまでもなく,収容可能人数は1人です.したがって,1人でお昼を食べる,というような時に,とても重宝するわけです.

 

②UIが優れている

カップ麺がぴったりおさまる

セマンティック・プレイスは,その優れたUI設計によって,ランチスポットとしての優位性を確立しています.

 

セマンティック・プレイスの手すりの下の部分には,カップ麺がぴったり収まります.

 

偶然ではこのようにならないでしょうから,まさしくセマンティック・プレイスがランチスポットとして設計されたことの証左となります(あるいは,カップ麺側がセマンティック・プレイスに迎合した)

 

しかし,どん兵衛のような,平べったいカップ麺の場合,こうはいきませんから,セマンティック・プレイスの恩恵を最大限に引き出したいのであれば,従来型の,縦長カップ麺を選ぶのが妥当でしょう.

 

また,セマンティック・プレイスは,カップ麺の収納に大いなる優位性を持つことのみならず,その狭さによる,左右の総合的な収容力の高さという点でも,他のランチスポットに差をつけています.

 

③立地が至便である

 

大学内ですから当然といえば当然なのですが,セマンティック・プレイスはとても便利な場所にあります.

文学部棟などの講義棟,研究室棟に近いのは言うまでもなく,コンビニエンスストア(学内にファミリーマートがあります)や,生協南部店舗にも数分でアクセス可能です.また,学部棟内のゴミ箱もすぐ利用できますので,ゴミをあれこれ持ち歩く心配もありません.

また,このように至便な場所に立地していながらも,人通りが少なく,落ち着いてランチできるというのも,セマンティック・プレイスでランチを行うメリットの一つと言えます.

 

セマンティック・プレイスのデメリット

以上の説明により,セマンティック・プレイスは,ランチを行うにあたって最良の場所であるかのように思えますが,もちろん以下のように欠点も抱えています.

 

①外である

外であるため,夏は暑く,冬は寒いです.また,風が強い日は,風が強いです.

したがって,セマンティック・プレイスで快適なランチを楽しめる期間は,あまり長くないということになります.

 

②人通りがある

セマンティック・プレイスがランチスポットとして開発されたことは,これまでの説明から明らかになっていますが,実際には,多くの人が知る事実としては,単なる通路上の空間でしかありません.そのため,セマンティック・プレイスでランチを執行していると,時として怪訝な目で見られることも珍しくありません.

 

③一人用である

言うまでもなく,セマンティック・プレイスは一人用のスペースです.したがって,友達など,ゲストを招く際は,しんどい体勢を強いることになります.

 

むすびにかえて

これまで説明してきましたように,セマンティック・プレイスは,大学内で一人ランチ(カップラーメンなどの不健康オプションを選択する場合)を執行するにあたって最適な環境と言えるでしょう.

 

筆者は,学部1年に入学した当初から,このプレイスを積極的に活用してきました.

一人しか収容できないプレイスですので,この優秀なランチスポットを独占すべく,これまであまり大っぴらにこのプレイスについて紹介することはありませんでしたが,これからの時期は寒くなりますし,来年は学部4年となり,わけあって文学部方面へ赴く機会も少なくなると思い,ぜひ後輩や新入生にもこのプレイスを使っていただきたいと考え,このプレイスについて紹介することになりました.

 

セマンティック・プレイスは,大学という空間は,私個人のものではなく,学生によって共有されながら,独自の場所を築くものです.セマンティック・プレイスは,大学という空間に,私という主体が働きかけることによって生まれた,空間の解釈です.ここに,どのような文脈を与えるかは,後輩の働きにかかっていると言えるでしょう.(もしかしたら,ただの通路空間に再び転じてしまうかも)

 

とかく,セマンティック・プレイスは,ランチスポットとしてきわめて優れています.

 

セマンティック・プレイスに栄光あれ.

 

健康に関するアドバイス

ご無沙汰しております.さやがわです.

今日は,みなさんに健康に関するアドバイスをします.

端的に言います.

腰痛にはなるな!!!!!

症状について

2022年の夏頃から腰に違和感を覚えていましたが,2023年の1月に急激に痛みが悪化して整形外科や接骨院を受診,劇的な痛みは8月ごろまで続きました.結果的には椎間板ヘルニアでした.11月現在は日常生活に支障こそないものの,特に座っている際に左腰に違和感を感じることも多く,完治には至っていません.

プロローグ

もともと身体の硬い子供でした.体力テストの長座体前屈など,それはそれはそれはな数値だった記憶があります.それから運動習慣もあまりなかったように記憶しています.

また,父方の祖母は腰の手術を経験していますし,母や叔父をはじめ,母方の親戚にも腰痛に悩む大人が多くいました.

どうやら,かなり素質はあったようです.嫌な素質.

腰痛は骨格に因むところも多いと聞きますので,親族に腰痛持ちがいる場合警戒したほうが良いかもしれません.骨格ストレート,骨格ウェーブ,骨格腰痛です.

 

整形外科受診まで~わりかし大丈夫な時代~

覚えている中で最も古い腰痛に関する記憶は,2022年の8月,別府でのことです.人生ではじめて大分県に訪れ,リュックサックを背負いながら別府の街を散策していたときに,左腰に痛みを感じた記憶があります.

しかし,その時はまだ些細な痛みであり,疲れからくる腰痛かな,程度に考えていました.

私のXを遡ると,2022年10月頃から腰痛に関するpostが増えています.腰痛に関するpostは年末から年明けにかけてどんどん増加していきます.あまり覚えていませんが痛みもますます進行したのでしょう.年末にはドラッグストアで市販の湿布薬を買った記憶があります.しかし,湿布を貼っても腰痛は悪化するばかりでした.

年が明けて1月には成人式がありました.久々に会った同級生たちに近況報告を兼ねて腰が痛い腰が痛いと連呼していた記憶があります.

 

本当にどうしようもない痛みが襲いかかってきたときのことは鮮明に覚えています.1月の3週目くらいの水曜日,1限を受けていたところ,信じられないほどの痛みに襲われました.あまりの痛みに椅子に座っていることすらままならず,途中から立ち膝で授業を受けていました.これはまずいぞ,と思い,先生の目の前だったのにも関わらず,授業中にスマホを開いて近くの整形外科を予約しました.大学から歩いて行ける範囲に13時まで診療を行っていて,インターネットでの予約を受け付けている整形外科があったのは幸いなことでした.

この日は本当にどうしようもない痛みだったのですが,2限の教室で居眠りしていたところ若干ではありますが改善しました.この日に限らず,私の腰痛は居眠りすると若干良くなります.

整形外科の受診を経て,いよいよ本格的に腰痛ジジイとしての生活が始まることになります.

 

さやがわ腰の冬

最初に訪れた整形外科はとても新しい病院で,診察も丁寧でした.とりあえずレントゲンを撮ってもらい,まあ様子見で,ということで痛み止めを処方してもらいました.

コルセットも処方してもらいました.保険適用で1500円くらいでした.コルセットは適切に装着すれば痛みを緩和するのに効果があるそうですが,もらってしばらくは窮屈さを嫌ってつけない日も多々ありました.

 

整形外科への受診と同時期に,親に勧められた接骨院にも通院しました.

接骨院の先生は,私の身体のたいそう硬いことにひどくびっくりしている様子でした.あまりにも硬すぎて,これはただのヘルニアではないかもしれない,脊髄終糸症候群*1かもしれないから,一度MRIを撮って見てもらいなさい,と言われました.

 

そこで,接骨院の先生に勧められた通り,まずは近くのMRIがあるクリニックで写真を撮ってもらうことにしました.

 

ところで,MRIを撮られたことがある方ならわかるかと思いますが,レントゲンがあっという間に(普通のカメラのように)撮り終わるのに対して,MRIは(撮影部位にもよりますが)20分から30分くらいは平気でかかりますし,とてもうるさい*2です.何回か撮影しましたがいまだに「MRIを撮りましょう」と言われるとヘキエキしてしまいます.しかし,ヘルニアを確認するためにはレントゲンではダメで,MRIを撮るほかないみたいです.どうにかなりませんかね.

 

MRIによる撮影の結果,無事に椎間板ヘルニアであることが確定しました.椎間板ヘルニアは,日本でとても人気の病気です.人気の病気のメンバーになれたことを嬉しく思います.思いません.

接骨院の先生が心配していた脊髄終糸症候群ではなかったようです.脊髄終糸症候群だった場合,手術になるそうなので,脊髄終糸症候群じゃなくてよかったー,と思いました.

 

しかし,ヘルニアもなかなか巨大なものでしたので,のちに受診した別の病院の先生(後述)は,手術したがっていました.嫌です.

 

病名が確定したのは良いとして,病名が確定することは病気からの回復を意味するわけではありません.痛み止めやコルセットを使用しながら,腰痛とともに過ごしていくことになります.

すなわち,9月くらいになって,ようやく腰痛が落ち着いてくるまで,苦難の日々は続きます.

具体的に何が辛かったのか,私は立っているときに痛みを強く感じるタイプでしたが,次のような苦しさがありました.

  1. 満員電車がつらい
    ──私の場合ひどいときには通学で90分立ちっぱなしですし,電車の揺れが来るたびに痛みに襲われます.見た目は健康なので席を譲ってもらうわけにもいかない......
  2. 朝起き上がるのがつらい
    ──姿勢のtransitionが発生する際に痛みを強く感じていたので,ベッドから起き上がるのも一苦労です.ベッドから降りて10分くらい床にうずくまって悶えていることも多々ありました.
  3. 走ったりジャンプしたりできない
    ──遅刻と乗り換えと階段が怖い.ライブもジャン禁でした.
  4. クシャミ・咳ができない
    ──花粉症シーズンと腰痛最盛期が重なっていたため地獄でした.腰痛になってはじめて気づいたのですが,クシャミは腰にものすごい負荷がかかります.

この他にもいろいろ苦しかったのですが,代表的なのはこのあたりでした.

とにかく,日常生活に支障が出まくりますし,あらゆるやる気がなくなります.

また,経済的なダメージとして,病院の受診代,薬代がかかるのは言うまでもないですが,私の場合腰痛がひどくてアルバイトを休ませてもらった日がそこそこあるので,その意味での損失は大きかったように思えます.社会人であればなおさら……

以上のような苦しさが,8月9月ごろまで続きます.

快癒へ?

さて,夏休みに入ると時間ができますので,接骨院の先生に勧められた,少し遠くにある腰痛のスペシャリスト的病院を受診しました.その病院はヘルニアなどの手術に定評があり,問診してMRIを撮影して結果を見るなり,「この大きさなら手術してもいいですね」と言い放ってきました.俺のヘルニアはそんなに大きかったのか!とびっくりしましたが,手術は(怖いので)嫌ですし,とりあえずその日は保留ということにしました.

その代わりではありませんが,仙骨ブロック注射という,世にも恐ろしい注射を複数回受けることになりました.

 

仙骨ブロック注射,私はケツ注射と呼んでいますが,はたいそう恐ろしい注射です.

仙骨ブロック注射は,次のような点が恐ろしさです.

  1. 痛い
    ──注射なので当たり前かもしれませんが、めちゃくちゃ痛いです.あと重みがあります.成人男性なのに泣きそうになりながら刺されていました.本当に痛い.
  2. 見た目がみじめ
    ──仙骨ブロック注射を刺す部位は,背中の一番下,お尻の溝の付け根みたいな部分です.そのため,注射の際は下腹部にクッションを挟んで,半ケツになって待機することになります.もちろん他の人から見えないようにはなっていますが,バカバカしい格好です(しかし,めちゃくちゃ痛い)

 

幸運なことに,その病院を受診して以降(注射のおかげ?),2023年の9月ごろからは目立った痛みは収まり,走ったりジャンプしたりクシャミしたりといったことも特別の苦痛を経ずに行えるようになりました.

最近は痛み止めを飲まずとも日常生活を難なく送れます.しかし,経過観察のMRIによればヘルニアは全く縮んでおらず,どうしてこんなにも痛みが引いているのか不思議であるとともに,いつ痛みが再発してもおかしくない状況だそうです.

さきほどの先生は「次痛みが出たら手術ですね」と,手術する気満々でしたが,手術は嫌なので痛みが出ないよう祈るしかありません.

まだ腰痛になっていない皆さんへ

腰痛はならん方がいいです.腰痛以外の病気もそうです.

腰痛ビギナーの皆さんへ

腰痛の先輩としてお伝えしたいことがあります.

くれぐれも無理だけはしないでください.

医師の診断を仰いでください.

近くにMRIがあるクリニックがあれば,そこを受診するといいかもしれません(ヘルニアの診断はレントゲンではできないため)

自分にとって楽な姿勢,楽な行動を見つけましょう

でもあんまり変な格好してると一時的にはよくても後で痛い目見る可能性あります.

腹圧を高めましょう

一時的にはコルセットが効果的ですが長期的な着用はかえって逆効果です.筋トレなど行うといいらしいですが,グレート痛みに襲われているときは無理しない方がいいです.

うざくない程度に腰痛アピールしましょう

恥は捨てよう.

 

とにかく,くれぐれもお大事に!

 

結びにかえて

肉の要と書いて腰と読みます.本当に痛すぎて休学や手術すら検討した腰痛が今こうして良くなっているのは大変良いことですが,今後腰に爆弾を抱えながらキャリア形成を行うことを考えると,不安で仕方ありません.人生何が起こるか本当にわかりません.くれぐれも身体だけは大切にしましょう.

それでは.

*1:20代から30代での発症が多いらしいので,それも踏まえての発言かも

*2:ガガガッ ガガガッ ヴーッヴーッヴーッヴーッヴーッヴーッ コココッ ヴィーッヴイーッヴィーッヴイーッ という音がします

時間について

さやがわです.

 

今緊急でブログ書いとります.

 

2限の教室,会議室みたいな部屋です.

 

時計あります.

 

壁.

 

かけてあります.

 

壁掛け時計です.

 

壁ですが,時計は動いていません(まるで壁のように!)

 

止まっています,時計.

 

止まっており,11時47分指しています.

 

止まっている時計,1日2回は正しい時間指すと言います(サマータイム入る日以外)

 

2限は12時までですね~.

 

うお!時間気になるぜ~!

 

時計チラリ,11時47分.

 

しかもそれは,なんと,真実の11時47分!!

 

止まっている時計だって役に立ちたいです.

 

真実の時間教えてあげましょう.

 

おれが気を遣ってそういう機会与えています.

 

11時47分っていい時間すぎます!(もうすぐ授業終わるため)

 

止まっている時計役立たせるため動いている時計使いましょう.

 

そういう日もあります.

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.

 

教務課へ,早く時計直してください.

 

さやがわより

今日見た夢(2023年10月30日)

今日は2本見ました。

 

 

卒業研究で某市に住んでいる老婆宅へ聞き取り調査に赴く。夢の中のiPhoneには掃除機機能がついており、左側面の上の方に吸引口があった。iPhoneを使って聞き取りを録音していると、老婆が「その携帯電話には掃除機機能があるのだろう。見せてほしい」と言うので、見せてあげることにする。

聞き取りを一時中断し、掃除機機能をオンにする。すると、思いの外吸引力が強く、部屋全体が負圧になり、窓ガラスが全部割れた。

これは大変なことになった、と思ってからの記憶はない。

 

 

大学のうち、研究室のある建物だけが江南市に移転した。僕はその時大学院に行くことになっていて、名古屋市内より家賃が安いからやったー、くらいに思っていた。

そして、実際に布袋に住んでみると、高校時代の同級生(野球部)が下宿最寄りのアルビス布袋店(実在しない)を荒らして回っていた。しかし、僕はそこしか買い物先を知らなかったため、同級生が店内を荒らし回る中で買い物をしていた。

また、研究室のある建物は、名古屋時代からエレベーターが来ないことと、いつも真っ暗なことで有名であったが、それは布袋に移転しても変わらなかった。しかし、エレベーターはやたらと巨大化しており、奥行きがすごくて、長ベンチがエレベーターの中に設置されていた。そのせいで、僕は研究室のあるフロアで降りることができず、いつも最上階まで連れてかれていた。仕方がないので上まで行って階段を降りて研究室に向かうが、その道中、階段の踊り場に建築系の研究室(やたら広い)があったり、図書館があったりで、なんてアンチバリアフリーな建物なんだ、と思った。

エスカレーターは人間の主体性のなさを表す装置である

BE OSAKA.

 

私が大学駅エスカレーターに乗る際に、心の中で唱えていることばです。

 

エスカレーターというのは動く階段のことで、多くのエスカレーターは横に2人並んで立つだけの幅を持っています。しかし、実際的な運用としては、どちらか片側に立ち止まり、もう片側は歩く人のために開けておくという様子がよく見られます。動いているエスカレーターの上を歩くのは危険であるということで、エスカレーターメーカーや鉄道会社は立ち止まって乗るよう説明していますが、そんな呼びかけも虚しく、駅でエスカレーターを観察していると、やはり皆左側に立ち止まり、右側を空けている様子がよく見られます。

 

ところでこの「片側空け」には地域差があるようで、一般的に、東京では左に立ち止まり、大阪では右に立ち止まると言われています。私が毎日エスカレーティングしている名古屋では左に立ちます。

 

しかし、毎日左に立っていては、飽きてしまいます。たまには右の日があっても良いのではないでしょうか。冒頭で記した BE OSAKA. というのはこういうことで、私はたまに、駅のエスカレーターに一番乗りで、前に誰も立っていなかったときに限って、右側に立つようにしています。

 

ところが驚いたことに、私が右側に立っても、後ろに誰もついてきてくれないのです。電車を降りた人は皆、左側に立ち止まっています。「歩く人のために片側を空ける」という暗黙のルールを考えると、私の後ろで、左側に立っている人たちは、とんでもない交通阻害をしていることになります。私は歩く人のために左側をわざわざ空けているのに、そこに人が来られてしまっては、せっかく左側を空けている意味がないではありませんか。

 

エスカレーターの片側を空ける理由が「歩く人への配慮」なのであれば、エスカレーターに乗る人は(暗黙のルールに従う場合は)先頭で立ち止まっている人に従わなければなりません。たしかに、名古屋の一般的な暗黙のルールでは、エスカレーターでは左に立つことになっていますが、それはエスカレーターで右側に立ってはいけないということを規定しているのではなく、片側を空けるときは左側に立つことを推奨するという指針でしかありません。むしろ、「片側空け」が本質的に意図するところが歩く人への配慮である以上、私の後ろで左側に立っている人は、一見名古屋のルールに従っているように見えるものの、実際にはルールの意図するところを無視しているばかりでなく、「前の人が右側に立っているならば(通路を空けるためには)どのようにすべきか」というごく簡単な問いにすら答えられない、あるいは考えられないという醜態を晒しています。

 

仮にも最高学府に通う学生が、このようにルールの表面的なところばかりを汲み取り、思考停止で左側に立つようなことがあっていいものでしょうか。

 

ところでエスカレーターでは、このようにルールの本質をよく理解できず、表面的な意味しか汲み取れない愚かな人々のまぬけぶりがよく現れるだけでなく、他にもいろいろ人間の愚かな一面が観察できます。

 

そこでタイトルに示したように、エスカレーターはやはり人間の主体性のなさをよく表している装置なのではないかという考えが生まれることになります。以下にいろいろ愚かの例を示しますから、エスカレーティズムを実践するエスカレーティストのみなさんは、これかたのエスカレーティングにおいて自らの行いを十分に注意するようにしていただきたいものです。

 

まず、先ほど申し上げたように、エスカレーターで片側を空けるという暗黙のルールがありながら、平然と通路を塞ぐように立ち止まってしまう愚かさ。

 

第2に、交通便利のための「片側空け」を実践するためにエスカレーター前に立ち止まり、かえって乗り場の混雑を招いてしまうという愚かさ。

 

第3に、そもそもエスカレーターは2列で立ち止まって乗りなさいという当局からの要請があるにも関わらず、頑なに片側空けを実践する(しかし、第一の例からわかるように、実際に交通便利に配慮しているわけではない)という愚かさ。

 

以上3つを申し上げましたが、これ以外にもいろいろエスカレーティングに見られる問題はあろうかと思われます。しかし、このような問題は、エスカレーティストひとりひとりに考える力が十分に備わっており、そしてそれを実践できさえすれば、決して起こらない問題であるはずです。

 

言い換えれば、エスカレーターで片側空けを実践する人々の多くは、表面的にはルールに従っていながらも、実際にはそのルールが意味することを全く理解せず、ただ機械的に片側空けを実践しているのみで、そこに自らの行動について責任ある選択を行う人間としての主体性が全く感じられないということです。

 

これはエスカレーターに限った話ではなく、現代社会にいろいろ他にも例が見られることだと思います。エスカレーティズムにおける主体性発現のための取り組みが、他のさまざまなティズムに波及していくことを願ってやみません。

大学祭でAI民話を売った

大学祭でAI民話を売った。

 

表題のとおり、私を含む学生有志によって構成された同人(?)サークル「程程町観光協会」は、6月8日から11日にかけて開催された大学祭「名大祭」のフリーマーケットにて、AIによって生成された架空の民話集『程程町民話集』を頒布しました。

この企画は私が発起人であり、私が主宰する、音と文字とことばの間を泳ごうという啓蒙キャンペーン「ズャンボァッリスサ」の一環であるとともに、このような数奇で意味不明の活動に協力してくれた友人たちあってこその企画でした。当初計画より大幅に規模縮小ではありましたが、サークルメンバーの協力もあって無事出展を終えられ、大変感謝しています。

 

『程程町民話集』は、岐阜県のどこか(右の方と言われています)に位置する、程程町という小さな町に古くから伝わる民話や伝承を一冊の本にまとめたものです。程程町のおおまかな設定や民話の方向性などは人間であるわれわれ学生が考えたものですが、町にある地区の名前など町についての詳細な情報、また、民話の内容およびその口調など、基本的なことがらはすべて AI (GPT-4 一部に 3.5 を使用)に考えさせました。

AIによって書かれた民話集はおそらく世界初ですが、それはAIに民話を書かせたところで何の役にも立たない上、それが紛れもない事実として受け取られるからです。私も、AI民話がなにかの役に立つとは思っていませんし、役に立たせるためにこの出展に至ったわけではありませんが、ちゃんとこの企画には意義を見出していますし、現代社会への意見表明も兼ねた出展です。それについては後でまた述べることにします。本記事ではまず名大祭フリーマーケットにあって異彩を放っていた程程町観光協会の出展模様について軽く述べたあと、AI民話を通して伝えられる社会へのメッセージを記したいと思います。

 

さて、先述のとおり、われわれ「程程町観光協会」は名大祭フリーマーケットにて世界初のAI民話集『程程町民話集』を頒布しました。名大祭そのものの会期は6月8日の午後から11日までの3日半ですが、フリーマーケットは10日と11日のみの開催であり、さらに悪天候で11日のフリマは中止されたため、結果的には10日土曜日の6時間程度だけの出展となりました。しかしながら、学生をはじめとして多くの来場者の方にAI民話に関心をもっていただくことができ、さらにたいそう悪目立ちしたという意味で、名大祭にごく小さな引っかき傷ながら爪痕を残せたのではないかと思われます。

 

「程程町観光協会」のブース

台車とダンボールで空間を構成している

 

これが、「程程町観光協会」のブースです。

フリーマーケットの原義は「蚤の市 (Flea market) 」であり、「フリー」すなわち自由 (Free) なマーケットではありません。それにしても、この貧相な店構えは自由を通り越して無法と形容すべき状態であり、じっさい「アナーキー」であると評されました。名大祭の名誉のために言っておくと、ほかのブースではちゃんとテントや机を用意してハンドメイドの雑貨や不用品を並べており、まさしくフリーマーケットといった雰囲気でした。われわれ程程町観光協会は、同人誌頒布という名大祭フリマ史上例のない出展形態であること、(フリーマーケットの場において)出展者が学生であったということ、店構えの粗末さ、店番のサークルメンバーが鳴らすカウベルが思いのほか音が大きかったことなど、あらゆる点で異様というか、不審でした。

 

「民話いかがっすかー」

コッ コッ (カウベルを叩く音)

「世界初!AIが書いた民話でーす」

コッ コッ (カウベルを叩く音)

「板も売ってまーす」

 

やはり不審です。お客さんがなかなか来なかったり、ティーンを呼び込んでも怪訝な目で素通りされたのは、すべてこの店構えと奇っ怪な商品、呼び込みのせいでしょう。全部だめです。テントとか用意する時間と資金(主に後者)がなかったんです。反省点です。

「フリマってこんな雑でいいんだ」

実行委員をやっている友達が言っていました。ポジティブに捉えるのであれば、これは名大祭出展への心理的なハードル、すなわち言論と表現の場としての大学祭への主体的参加のハードルを引き下げ、大学祭で学生が表現する機会を増やしている行為を称賛していると捉えられます。ネガティブに捉えるのであれば……まあ、言うまでもないですね。

 

 

ところで、私がこのAI民話を通して伝えたかったことはなんなのでしょうか。

それは、新しい技術に目先の便利さを求めてしまいがちな社会への警告です。

ご存知のとおり、テキスト生成AIやそのサービス、とくにChatGPTは、ここ半年で急速に知名度を上げ、社会に浸透しつつあります。人力のテキスト生成と比べて圧倒的に短時間でそれなりの品質を仕上げられるテキスト生成AIは、たしかに多くの場面で活躍できるでしょうし、必要とされるでしょう。生成AIについて、今日ではその有効活用策がいろいろ模索される一方で、「悪用」への懸念も高まっています。

たとえば生成AIを大学生活で「悪用」する例として、最も危惧されているのはレポート課題や記述式試験での利用でしょう。無料の ChatGPT でも、驚くほどそれっぽいレポートを書くことができますし、司法試験や医師国家試験などの試験を解かせたところ合格点に達したというような報告もあります。これを危惧して、生成AI利用のガイドラインを策定する大学や企業もあるようです。

 

しかし、生成AIの「有効活用」も「悪用」も、人間が今ある仕事をAIにアウトソーシングして楽をするという意味で、根本的には同じことです。すなわち、AIをいかに「役に立た」せるか、そしてそれが為政者や管理者にとって都合のいいことかどうかばかりが取り沙汰されているばかりで、それではいけないのです。そもそも、生成AIを「なんでもこなせる万能ロボ」のような認識のまま議論に参加しているおじいさんたちが社会の主役では、まったくトンチンカンの意見が出されるだけであり、理解力と想像力に乏しいおじいさんたちによってもたらされる「AI社会」は、単に人間がやっていた非合理的な仕事をAIが置き換えるだけで、根本的な構造はなにも変わらないのが関の山でしょう。AI民話は(決して本意ではありませんが)、おじいさんのもつ「民話」という機能をAIが代替できる可能性を示したという点でおじいさんの立場を危うくしたと、そう言えなくもないでしょう。

 

そもそも、人間ができる仕事は人間にやらせればいいに決まっています。たとえばレポート課題でズルをしたいのであれば、ChatGPT にアクセスするまでもなく、同級生を脅すとかすればいいだけの話です。

 

もちろん、生成AIがもたらす影響として、今までの作業の「代替」という要素も大きなものとしてあります。しかし私は、AI民話の作成を通して生成AIのもつ「生成」という能力の可能性(と同時に現段階でのポンコツさ)を感じるとともに、その力を可能な限り引き出さねばならないと感じています。

 

ところでなぜ「民話」なのでしょう。『程程町民話集』は、端的に言えば「民話」というテイが「テキスト生成」の能力を引き出し、かつ現段階の「不十分さ」をカバーしうるコンテンツだという認識のもと作成されました。

ChatGPT の普及につれて、次のような不満が散見されました。

「質問に対して、事実と異なる回答を寄越す」

「発言の辻褄があっていない」

たしかに、ChatGPTの返事は時としていい加減です。しかし冷静に考えてください。彼らはあくまで「生成AI」であって、「なんでも知ってるロボット」ではないわけです。このような勘違いが生まれてしまうのは、ユーザ側の無理解もありますし、デベロッパやメディアの伝え方が不十分だったのかもしれません。しかしこのような状況──技術への不信感──を放っておいては、AIを活用したなんかすごい社会の実現などありえません。

AIになにができて、なにができないのか。彼らは今のところ「テキスト生成AI」でしかないわけであり、「なんかそれっぽいテキストを生成すること」が最も得意なはずです。そこで、程程町観光協会では民話に着目しました。民話は言うまでもなくはじまりから終わりまでのストーリーを構成しなければなりませんが、一方で長い年月を越えて伝わってきた民話は、時としてかなりいい加減で、辻褄がおかしかったり、話の内容が突拍子もなかったりします。この意味で、テキスト生成が得意ながらも内容の整合性には「不十分さ」がある現在のテキスト生成AIにとって、最も向いている分野が民話生成だと考えたのです。

 

民話生成はなんの役にも立ちません。別に立ってもいいのですが、われわれとして立てるつもりはとくにありません。しかし、生成AIの力を愚直に引き出そうとしたという点では、意義があると考えています。なにができてなにができないのかを見極めた上で、適切な仕事を割り振る。AIに限らず、人間のマネジメントでも同じことが言えるはずですが、技術に対して「過度な信頼」を抱いていては、うまくいくはずがありません。生成AIに未来を変える力があると信じているからこそ、彼らがなにをできるのか適切に理解する必要があるのです。

 

生成AIが本当に社会を変えるだけの力を持っているかどうかは私にはわかりません。しかしひとつ言えるのは、仮に生成AIが社会に変革をもたらすだけの力を持っているとして、それを「利用」し、実際に社会を変えられるのは(今のところ)わたしたち人間だけということです。自分たちが明日の社会を変える力を持っていると自覚していて、そしてそれを良い方向に変化させたいのであれば、目先の利益のために力を使う──それは根本的には何も変化させていない──ことは極力減らさなければなりません。

 

技術を「作る」のは技術者の仕事ですが、新技術を利用し、「技術のある社会」を作るのはユーザであり、それは紛れもなくわたしたちのことです。ここに、「理系」のみならず「文系」にも技術についての理解、具体的には技術が何を可能にし、なにができないのかについて、適切な理解が求められる理由があります。

 

生成AIをオルタナティブなものではなく、それ自体が価値を生み出せるオリジナルなものにする。AI民話はこのための利用としては不十分かもしれません(民話なら、おじいさんを召喚すれば良い)。しかし、誰も知らなかった世界を作るということと、AIが持っている能力、すなわちテキスト生成能力を愚直に実行した結果物を社会に還元するという意味では、なんらかの意味を見いだせるかもしれません。