政界に激震!参政党は「三河の地域政党」だった!?
※本記事はフェイクニュースです。
6月の東京都議選、7月の参院選など、急速に勢力を伸ばしている「参政党」だが、最近になって、「三河の地域政党ではないか」という疑惑が生じている。全国に支部を持ち、参院選では自民党以外の政党として唯一すべての選挙区に候補者を擁立した参政党だが、三河の地域政党であることが明るみになれば、その支持と信頼は地に落ちてしまうだろう。一見日本の国益を狙うような物言いが、実はまったく三河への利益誘導であると判明するからだ。本記事では、さまざまな手掛かりのもと、「三河の地域政党・参政党」の姿を白日に晒す。
まず、そもそも「参政党」という政党名自体が、三河の地域政党であることを示唆している。「三河」は古典的な表記では「参河」となる。つまり「参政党」とは、「参」河の地域「政党」の略なのだ。
次に、彼らのシンボルカラー「オレンジ」に注目してみよう。賢明な読者諸君においては、この色が中部地方・東海地方のテーマカラーであることに気づいた者も少なくなかろう。JR、NEXCOなど、オレンジはこの地域全体の表象としてよく用いられている。さらに三河には、蒲郡みかん、ヤマサちくわなど、オレンジ色の特産品が多くある。三河の地域政党である彼らにとって、シンボルカラーはオレンジ以外では有り得なかったであろう。無論、「代々受け継がれてきた橙」云々のエピソードは、三河の地域政党であることを隠蔽するためのでっちあげにすぎない。
彼らのシンボルマーク「鳳凰」にも、三河要素が隠されている。新城市には鳳来寺という寺院がある。そう、三河には、鳳凰の雄の方である、鳳がやって来るのだ。日本広しと言えども鳳凰がやってくる土地は数少なく、彼らがシンボルマークとして採用するのも納得である。さらに豊橋市に本拠を置くバスケットボールチームの名前は「三遠ネオフェニックス」。三河で生まれ育ったメンバーが、象徴的な生物として鳳凰をシンボルに推薦する土壌は揃っていると言えるだろう。
いささか、表象的な部分に注目しすぎた。次は、彼らの主張について考えてみよう。
言うまでもなく彼らは極右政党であるが、ここにも彼らが三河である証拠が潜んでいる。そう、三河は、地図で言えば県土の東側、すなわち「右」に位置しているということだ。その中でも三河であることを象徴するのは、尾張から遠く離れた極東、言い換えれば「極右」なのである。彼らは三河の地域政党であるがゆえに極右の立場を取らねばならないのだ。
以下に掲載するのは、「次は私たちの番だ」と称する彼らのポスターである。

全体的に人選にツッコミどころが多いのはさておき、特にひっかかるのは、いわゆる「三英傑」と呼ばれる偉人のうち、徳川家康だけが名を連ねている点だ。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康──3人の中で、徳川家康だけをピックアップする理由はなんだったのだろうか? 答えは単純で、「徳川家康だけが三河出身(残りふたりは、尾張出身)」というのが理由である。さらに、西郷隆盛に関しても、そのルーツが三河西郷氏に求められる、という説が存在する。三河偏重の価値観が、その歪んだ人選を生み出したのである。また、特攻隊員を除く5名の生きた時代には、地方行政単位としての「三河」が存在した。彼らの言う「これ以上、日本を壊すな!」というのは、何よりも、地方行政単位の改革、すなわち廃藩置県と府県統合が念頭にある。三河は尾張と合一され、彼らの理想とする──「三河」を保っていた──日本の地方行政区分は崩壊した。当然、道州制やグローバリズムによって、三河の境界線が蹂躙されるのは、御免というわけだ。
代表の名前が「神谷」というのも気になるところだ。彼は福井県出身を自称し(おそらくそれは、不本意ながら本当なのだろうが)、自身のルーツに三河が存在しないかのように巧妙に嘯いているが、「神谷」は西三河に非常に多い姓である。おそらく福井は、何らかの理由による一族の仮住まいの地であったのだろう。何らかの理由で三河を離れざるを得なかった過去を持つ彼が、急進的なローカリズムを打ち立てたのには、同情できる部分がないこともない。
参政党(主に神谷代表)の主張は度々炎上しているが、それは無理もない。ここまで見てきたように、彼らが極右であることの論理的根拠は、三河が地理的に愛知県の「右」であるということ以外になく、そうした論理的基盤の脆弱性は、安易で過激な発言に彼らを向かわせるのだ。しかし、これまで度々炎上を重ねてきた彼らの軽薄な発言の中にも、彼らの中に僅かに燃え残る三河のスピリットを見出すことが出来る。
たとえば、度重なる炎上の一因となった、彼らの小麦忌避傾向は、麦味噌忌避・豆味噌崇拝に端を求められる。三河ナショナリズムを描く時、八丁味噌に代表される濃厚な豆味噌は決して欠くことのできない要素である。しかし、日本には多種多様な味噌が存在する。「単一民族としての日本人」という幻想が描かれるように、彼らは「単一文化としての味噌文化」を描こうとした。そのためにまず最初に潰さねばならなかったのが、彼らにとって最も異端と思われる、麦味噌だったのである。しかし、味噌自体を攻撃してしまえば、不審な味噌ナショナリズムによって、彼らが三河の地域政党であることが判明してしまう。そこで彼らは、麦全体を攻撃することによって、彼らの出自をカモフラージュしたのである。
以上のように、参政党が三河の地域政党であることは明白であり、現在の参政党は、三河の地域政党であることをひた隠しにし、「日本人ファースト」のスローガンのもと、日本全体に排外主義と反科学的な価値観を広めようとしている。後者についてはいくつもの非難が見受けられる一方で、前者に対しては、管見の限り、本記事以外に非難する言論は見受けられない。彼らは三河の地域政党でありながら、本業を疎かにし、排外主義と反科学の宣伝に夢中になっている。それは明らかに党自体の前提に反しているし、反科学的な価値観については、第一次、第二次産業が非常に盛んな三河の風土そのものを愚弄するものでもある。農業、工業に代表される現在の三河の産業は、言うまでもなく観察と試行錯誤という科学的営みの原則に基づいて発展した技術がなければ存在しえないものであり、彼らは三河の地域政党でありながら、反科学という点において三河に受け入れられる素質を持たない。行き場を失った彼らの発言はやがて過激になるが、「三河の核武装」のような極論が、どれほど広く受け入れられるだろうか。
参政党はいまいちど、三河の地域政党としてのアイデンティティをよく振り返らなければ、悪性腫瘍のように組織が肥大化することはあっても、健全な成長は見込めないだろう。
安城だか、西尾だかに住んでいる神谷姓の神は言いました。宗幣、帰ってきなさい。今ならまだ、引き返すことができるから──
過激化という悪性腫瘍によって肥大した参政党が、本来の「健全な三河の地域政党」としての姿に立ち戻れる日は、近くはなくとも、決して遠くはないかもしれない。
※本記事はフェイクニュースです。
昨日見た夢(2025年6月5日)
地下鉄砂田橋駅の地下91階相当の深さの地点には,防空壕を改造して作られたという教室がある.その日の授業はそこで行われることになっていて,授業が終われば皆エレベータに乗って帰っていく中で,自分は片付けに手間取り,友人皆の乗る便には乗り遅れてしまった.
引き続き片付けを進めていると,用務員らしき,緑灰色の作業服を着た中年の男性が,教室の施錠をしたいので早く出ていってくれ,と伝えてきたので,慌てて教室を出て,エレベータを待つ.
数分経ってようやく到着したエレベータに乗り込む.今日はもうこの教室を使わないことになっていたので,本日の最終便ということになる.皆が帰ってしまえば,教室の空調や照明はすべてシャットダウンされる.地下91階の教室を維持管理するためには莫大なエネルギーと予算を必要とするため,当局としては用が済めば一刻も早く出ていってほしい.用務員の男性が急かしたのもそのような理由に依る.
エレベータに乗り込む.乗客は,自分,用務員の男性,そしてなぜか,全身真っ赤のタイトなドレスを着た,しかし妙齢の女性,あわせて3人.
地下91階から地上に登るには相当時間がかかる.しかも旧式エレベータなので尚更だ.ゆっくりと上昇していることを示す階数表示のメータを見て,女性が呟く.
「このエレベータ,遅すぎるわ,役立たずのオンボロ.」
するとエレベータが気分を害したのか,上昇をやめ下降に転じる.
地下91階に取り残されるのはゴメンだ,自分たち3人は必死にエレベータをなだめる.
「君は,類まれな,見事なエレベータだ.」
「地上に向かう,力強い一本の柱だ.」
「僕らは君無しじゃ生活できないさ.」
そうしたらエレベータが機嫌を取り戻し無事に地上に帰ることができた.
長距離通学はやめよう
萩原.
萩原それは,青春時代の私にとってもっとも重要な土地の一つです.
彼の土地は,私にとって重大で瞬間的な,そして重大なインスピレーションこそ与えなかったものの,萩原の与えた静かなるスピリッツは,私の深層心理の,奥深くの,そのまた奥深くに,微かなような,それでいてとても迫力のある胎動を生み出しています.
萩原には愛があります.
しかしそれは,すべての人に開かれた愛ではありません.私の友人たちのほとんどは,萩原にある愛を享受することができないでしょう.
それは私が,丹陽に,葉栗に,浅井に,微かな愛すらも感じ取れないのと,同じことです.
それは一種のトポフィリアです.
私は日本という土地に,それはそれは素晴らしい思念を抱きます.
私は愛知県という土地に,よりもっと素晴らしい思念を抱きます.
そして私は萩原という土地に,たいそう,深く深く素晴らしい思念を抱き,また,抱こうと思っています.
もちろん萩原が対外的にも素晴らしい土地なのは間違いありません.
江戸時代は日本の東西を結ぶ重要道路である美濃路を通していました.朝鮮通信使も萩原を通っています.
明治時代にはまだ珍しかった鉄道が,相当早くから敷かれました.
昭和時代には名鉄の本社が置かれました.
平成時代には……そうですね,素晴らしいラーメン屋があります.
しかし言うまでもなく,言葉で言い表せない,そして他人には決して理解されることのできない,愛が,萩原にはあります.
萩原は愛に満ち溢れています.
しかし,どうでしょうか.
定期券に愛はあるでしょうか.
故郷と大学を結ぶ,鉄の函に毎日乗る権利.
それは素晴らしい愛なのでしょうか.
答えはノーです.
鉄道会社は,私たちに愛を与えるために営業しているのではありません.
長く長く,遠い道.
まず一宮に出ます.
名古屋に出ます.
東山公園に出ます.
皮肉なことに,この長い通学経路は,「愛を知る」という意味の名前がつけられた,空間的領域の中で完結します.
愛を知る!
大事なものは,失った時ほどその価値に気づくというものです.
鋭い皮肉です.
そうです,あの忌々しい赤い,ふた函の汽車は,岐阜県民で満載の,ろく函の汽車は,まして人を人ととも思わない,黄色いろく函の電車は,すべて愛ではありません.
愛とは,まるで真逆の存在です.
ふるさとは素晴らしい場所です.
ふるさとにはたくさんの愛があります.それは与えられ与えられるものです.
しかしふるさとに固執することが,必ずしもたくさんの愛を得るために最も良い手段であるとは限りません.
毎日汽車に乗りるとしましょう.そのようにして毎日,ノット・ラヴ的なものを十分に(行き帰りでふた回も)享受し,そしてふるさとにたどり着いた時に,
アァ!愛とはなんと素晴らしいものであるか!
そう叫ぶ日々は,本当の愛からかけ離れているのではないですか?
冷静さを失ってしまえば,愛の価値を正しく抱くことも,愛を与えられることも,まして愛を与えることも,ますます難しくなってしまうのではないですか?
長い時間汽車に乗るのは,いまもむかしも疲れるものです.
このメッセージが,これから長い通学を始めようとする方々に届きますように.
ヴィーシャーマシー蟹場
ヴィーシャーマシー蟹場(ゔぃーしゃーましーかにば:Vee shat masi crab spot)は、大分県にある海岸。
今日夢に出てきました。
日豊本線を普通列車で下り、大分駅を過ぎ、大分都市圏の街明かりも途絶えた辺りの海岸に、ヴィーシャーマシー蟹場はあります。
特急に乗ってはいけません。ヴィーシャーマシー蟹場のある海岸近くを通る線路は、日豊本線の旧線です。この旧線は、線形が悪かったことから、電化前後にトンネル経由の新線に付け替えられ、ほとんどの列車はその新線を経由します。ただ、付け替え距離が長く、ヴィーシャーマシー蟹場の最寄り駅などいくつかの駅の需要を拾うために、いまも旧線が残っており、日に何本かではありますが普通列車がこの旧線経由で運転されます。
ヴィーシャーマシー蟹場は、この旧線の小駅から歩いて30分くらいのところにあります。
線路沿いの閑散とした県道を宮崎方面に進みます。
蟹場は列車が短いトンネルを抜けるあたりの海岸にあるため、列車から蟹場を眺めることはできません。
切り立った崖の下に、広い平坦な岩礁があり、そこに蟹がたくさん生息しています。
蟹場というは聞き馴染みのない単語ですが読んで字の如く、蟹がたくさんいるところです。
小さい蟹が多いですが稀に大きなカニもいます。
小さい蟹が多いせいか、蟹場という大層な名前がついているわりには、カニは当地の名物というわけでもないようです。
ヴィーシャーマシーという地名の意味はよく分かりません。
夢の中で出てきた単語集
さやがわです.
私は,眠っているとき,しばしば夢を見ますが,夢の中では,現実には存在しないことばやものごとが,あたかも現実に存在するような雰囲気を出して登場することがあります.
今日はかつて夢の中で出てきた単語の中から,特に興味深く,記憶に残っているものを3つお教えします.
①村田ショック
20世紀末,政権交代に伴って,日本の閣僚の8割が「村田」姓で占められた出来事.
親戚関係などではなく,単にたまたま村田姓の人が集まってしまった結果起こった.
政治的・政策的インパクトはそこまで大きくなかったが,見た目の衝撃が強かったことから「村田ショック」と呼ばれるようになった.
②ヴィエンチャン・フー
18世紀ラオスの武将.詳細はよく分からないが,ラオス国内の戦いに勝ち,現在のラオスにあたる地域を平定した.ラオスの首都「ヴィエンチャン」の名は,この武将に因む.
③激形
ひしゃげた三角形のこと.
以上です.さようなら.
Animal, Animal, Animal
さやがわです.
大学生協とは,多くの大学にそれはありますが,学生や教職員など,その大学の構成員によって共同で出資され,購買サービスや食堂サービスにはじまり,保険サービスや住宅サービスなどを広範に提供する,大学の福祉に欠かせない存在であるわけですが,とかく,購買サービスにおいて,彼らはその弱点として,大量仕入大量販売,薄利多売によって勢力を拡大する,昨今の大型小売店やディスカウントストアなどに比して,規模の経済を獲得するのが困難であることにより,あるいは,専ら,かような諸店を日常から使う(ようになってしまった)我々にとって,以上のことより,非常に,市場に対して,その販売価格が,いかにも高いのでは,すなわち,大学生協購買部の商品は,価格が高いのではないかと,思わざるを得ないところにあります.
ヨースルに,大学生協購買部は,価格が高くて困った話です.
しかし,無論商品の価格は,販売者が自由に決めて良いわけです.そこには自由な競争があります.ビスケット一袋を,100円で売ろうが,1000円で売ろうが,一向に構わないわけです.
ところで命に価格はあるのでしょうか.命は,ふつう,尊いものと思われているようで,斯様な議論に,意味を見出さない論調も,多くあることに思われます.
ところが,大学生協では,命の価格は明示されています.それは明確に110円くらいです.すみません,いくらで買ったか忘れてしまいました.

これ絵柄何種類あるか知りませんが,私が買った個体には11種類12枚入っていました.
左上の縦長のから時計回りに順に,オットセー,キツネ,イノシシ,ラクダ,クジラ,ハリネズミ,クマ,ペンギン,ラッコ,カラス,ネコと存じます.
コープのホームページ*1を見ると,他にもゾウ,ヒツジなど見受けられますので,工場では,より豊かな生態系があると思われます.
