除目日誌

たのしい毎日

勝手に流すな!

大学のトイレはとてもきれいです。便座が割れていたり、天井から謎の黄色い液体が垂れてきたり、ついに卒業するまで詰まりが直されなかった、劣悪な高校時代のトイレ環境と比べると、まさに隔世の感といったところです。

とくに大便器の進化は著しいものです。近づくと自動的に蓋が開くハイテクなトイレなど、われわれを排便の世界へと手招きしてくれているようです。従来の臭くて汚いトイレが放っていた「拒絶」の意思はそこにはなく、トイレ自身もわれわれとの共存を図っているような気さえします。

技術の進歩はわれわれ人間と排泄物、トイレとの関係性を少しずつ変革させています。しかしそれは、必ずしも手放しで賞賛されるべきものとは限りません。進化したトイレであっても、時折わたしたちとの間に齟齬を生じさせることはあります。

 

勝手に流さないでほしいのです。

 

勝手に流してほしくないのには、いくつか理由があります。

 

第一に、勝手に流してくれるおせっかいなトイレは、立ち上がってお尻を拭く人のことをなにも考えていません。わたしは立ってお尻を拭くことがままあるので(その方が拭きやすくないですか???)、うっかり先にうんちだけ流されてしまうという悲しい経験を何度もしてきました。汚物をきれいさっぱり洗い流してしまった得意げな便器に、いまさっきケツを拭いたばかりの紙をポンポンと2,3発放り込む。今こうしている間にも、その罪悪感に苛まれている、立ちケツ拭き派の悲しい涙が、人知れず便所の床に滴っていることでしょう。そもそも、せっかくの節水仕様のハイテク便所が、こうして紙を流す手間が増えてしまっては、その性能を活かせないどころか、かえって水を無駄にしていることになってしまいます。「だったら座って拭けばいいだろ」 そんな声が聞こえてくるようですが、座ったままケツ拭くのって難しくないですか?

 

第二に、蓋する間もなく、問答無用で汚物を流してくれるトイレは、疫病の飛沫感染を防ぐために蓋をして流せ、という社会の要求に真っ向から矛盾しています。そもそも最近のハイテクなトイレの中には、蓋を省略してしまったものさえあります。汚物を流した飛沫にどれくらいの感染リスクがあるかはさておいて、少なくともそのような要求があるのであれば、それに対応した措置を取るのが正しいのではないでしょうか?ていうか管理者側がちゃんと勝手に流れないように設定しとけよ

 

私は先週だけでも多くの便所でこの罠にひっかかってしまいました。大学や本山のマックスバリュ(なぜか男子トイレにも汚物入れがある)など、やはり大都市は技術革新の恩恵を真っ先に与ることのできる場所です。人が集まって新しい技術ができ、それを試し、議論する。大都市、つまり人がたくさんいる場所は、単に人がたくさん集まっているということにとどまらず、そこから新たな価値や問題提起がなされなければならない空間です。だからこそわたしは、大都市の恩恵に与っている市民のひとりとして、この「勝手に流れるトイレ」に一石を投じなければならないと考えているのです。

 

立ってケツを拭く多くの人民が、立ち上がらなければならないときが来ているのです。

 

しかし当面の間は、立ってケツを拭いてしまうと勝手にうんちが流されてしまうので、気をつけなければなりませんね。

 

さようなら